町の95%が森林に囲まれた、鳥取県八頭郡若桜町。
幻想的で妖精や妖怪が住んでいそうな山には、水と美の神様「若桜弁財天(わかさべんざいてん)」が祀られています。町の皆さんは昔から「べんてんさん」と呼んで大切に祀ってこられたそうです。
その、べんてんさんにちなんだ名前のお酒「辨天娘(べんてんむすめ)」を造る、明治42年(1909年)創業の「太田酒造場」を訪ねました。
お話をお伺いしたのは、5代目社長・太田章太郎さんです。
優しい笑顔の太田酒造場・社長 太田章太郎さん。日本酒はもちろん、ワインやビールを飲むのもお好きなんだそう。贔屓にしている酒店から研究のために取り寄せて、晩酌するのも楽しみのひとつだそうです。
自分たちで、造りたい
太田酒造場は今から30年程前、10年間酒造りをしていませんでした。
杜氏(とうじ)※が高齢となり、他に職人を探し回りましたが適任者がおらず、他所の蔵へ酒造りを委託していたそうです。
※杜氏とは、酒造りの現場を仕切る責任者のこと。
小学生だった章太郎さんは、家での酒造りがなくなり寂しいと感じていたそう。
その思いはお父様も同じだったようで、
「自分の蔵で作った酒が飲みたい」と酒造りへの思いが募りました。
太田酒造場は、章太郎さんの高祖父(ひいひいお爺さん)が創業。ピーク時には出雲杜氏をはじめとする蔵人集団が10名程で造りを担当していました。
酒造りは、有難い
営業を担当していた社員(お父様の従弟)に、「杜氏の勉強をしてくれるか」と打診したところ「やってみる」と言ってくれ、そこから、日本の酒造技術者で鳥取県出身の上原浩氏に習い、酒造りを再開されたそうです。
「酒造りを再開した当時は、蔵を継げるなんて夢にも思ってなかったですね。ただ、売れなくても自分たちで作ってみたい、という気持ちが強かったです。失敗したら親戚みんなで飲んだらいいか、と話していましたね(笑)」
と当時を振り返り、笑顔で語ってくださいました。
再開は、2002年。できた量は「六石(ろっこく)」。一升瓶でいうと600本。章太郎さん曰く「親戚が一年で飲み切れるぐらいの量」でしたが太田酒造場には、とても大きな一歩でした。
「酒造りできることは有難いことだったんだと、ここにいる全員が噛み締めているんです」
今は酒造りできることが嬉しくてしょうがないと言われる、章太郎さん。
瓶に入っているのは、自家製の柿渋。建物や道具に塗って、メンテナンスしながら使っておられます。
ちょうど取材にお伺いした日も、床に柿渋を塗られているところでした。柿渋色が美しい。
トレンドとは違うところが、強み
さらに、「お酒造りは面白い」と章太郎さんは言われます。
「今、全国で日本酒は新規免許がほとんど出ないんです。蔵の数はこれからどんどん減っていくのではないかという危機感はありますね。やっぱり、日本全国で色々な日本酒を作る蔵があるから、日本酒業界としての厚みが出るのであって、蔵が残っていかないと。そんな中でも山陰は頑張っているな~と感じますね。」
昔、山陰はアクセスが悪かったこともあり、他所から酒を入手しにくく、情報もあまり入ってこなかったそうです。地元で飲み継がれ、流行に左右されることがありませんでした。
流行おくれと揶揄されたこともあったそうですが、一貫した酒造りを貫いてきたことが現在では、大きな強みになっているそうです。
太田酒造場もまた、全国の酒通から高い評価を受けています。
清らかな水、空気、地元の米、弁財天に見守られながら作られる辨天娘は、全国にその存在感を放っています。
酒造りのピーク時の人手が必要な時には、お酒が好きな近所の方が手伝いに来てくれるそう。地元でもとても愛されています。
続きはこちら→〈燗で華開く純米酒|若桜・太田酒造場②〉
#鳥取 #日本酒
太田酒造場のある、若桜街道は歴史ある街並みが楽しめます。太田酒造場さんでは直接日本酒も購入できますので、ぜひ実際に訪れてみていただきたいです。