〈前回の記事はこちら→輝く繕の跡|金継ぎのある暮らし① 〉
私は暮らしに寄り添いたい、一見価値のなさそうなものこそ直したい。
漆を使って器のお直しを行う、島根県ご出身の金継ぎ師guu.さん。
(以下、guu.さんと称させていただきます)
普段はお仕事で金継ぎをされることが多いようですが、
日常でもご自身やご家族の器を修繕されたりすることもあるそうです。
また、針と糸を使った衣類の修繕法である「ダーニング」もguu.さんの趣味のひとつ。
穴の空いてしまった靴下を直して履いたり、亡くなったお祖父様の虫食いシャツを直したり…。
日常の中にもお直しが溶け込んでいる様子が伺えました。
「「直す」ということになぜこんなに惹かれるのか、自分でもまだよくわかっていません。
わからないから直しているのかもしれないのですが、
新しく何かを作り出すよりも、自分には向いてると思っています。
皆さんもお洋服の裾やボタンがちょっとほつれたら直すでしょう。
それと同じように、ちょっと欠けてしまったカップの縁を直せたら、
と思うのです。きっと楽しいですよ」(金継ぎ師guu.さん)
guu.さんがお直しをする中で喜びを感じるのは、直したものを誰かが使ってくれている時。
「金継ぎしたらもったいなくて使えない」とは言わずに、また使ってもらえたら嬉しいそうです。
ただ綺麗に直すというだけでなく、
その先の使ってくれる人や暮らしを思った「お直し」には、
見た目だけでは表現できないような内面的な美しさがあるようにも感じました。
▲guu.さんが直された器。今後は陶磁器だけでなく、ガラスの金継ぎにも挑戦してお教えできるようにしていきたいとのこと。
最後に、故郷である山陰についてお伺いしました。
「金継ぎや工芸に関わるうちに、民藝の考え方や作られているものに、強く惹かれるようになりました。
民藝について本を読んだりしているうちに、
山陰が民藝の街だと知った時は、何か運命的なものを感じました」(金継ぎ師guu.さん)
地元にいたころは漆や工芸には興味がなかったものの、
無意識のうちにそういうものを自分の中に取り込んでいたのかもしれないと、guu.さんは仰います。
日常生活のために作られた山陰の民藝品、そしてguu.さんによる暮らしに寄り添った金継ぎ__。
まさに出会うべくして出会ったのではないだろうかとすら感じられます。
そして、
「山陰には何もない」と揶揄されたり、自虐的に発言してしまうこともあります。
確かに都会的な刺激はないかもしれませんが、海があって山があって、湖もあって、
なんでもあるじゃないかと、地元を出てから一層思います」
と、故郷山陰への、愛のある温かいお言葉もお聞かせいただきました。
「もの」を大切に、「暮らし」を大切に、「ふるさと」を大切に。
金継ぎ師guu.さんが繕った跡にはたくさんの大切な思いが宿っているのではないかと、私は感じます。
もし物にも感情があるなら、そんな風に直してもらって、その後も大切に使ってもらえるのはとても幸せなんじゃないだろうか。
思わずそんなことを考えてしまいました。