鳥取道智頭インターを下り、車で53号線を南に約3分ほど進んだ先に『漆工房 會州堂(かいしゅうどう)』の看板は現れます。
『會州堂』があるのは智頭の宿場町から少し外れた、静かで緑豊かな場所。
塗師・橋谷田 岩男(はしやだ いわお)さんは、こちらの工房で漆器づくりを行い、こだわりの工芸品の数々を販売されています。
▲會州堂の橋谷田 岩男さん。明るいお人柄で、興味深い漆器のお話をたくさん聞かせてくださいました。
営業職から漆器の道へ
橋谷田さんは会津の漆器屋のご家庭で生まれ育ちました。
しかし地元でそちらの道には進まず、営業職に長年従事されていたそうです。
そんな橋谷田さんが漆器の道に進んだのは31年前の、37歳の時。
結婚を機に鳥取に移住され、『會州堂』はスタートしました。
最初は仕入れと販売を中心に行なっていましたが、49歳の時に奥様のひと押しもあり、京都の丹波漆(たんばうるし)の産地の職人の元へ修行に向かったそうです。当時は塗りから習得され、なんと今でも蒔絵を学ぶために通われているのだとか。
「今の技術が足りないなら、素直に指導を受けます。いつの時代も知らないものは知らないし、そのままだと得るものも得られないから」
いくつになっても謙虚に学ぶ姿勢を忘れなければ、人は成長し続けられる。そんな生き方を、橋谷田さんは自ら実現させて来られたのだろうと感じました。
▲會州堂内にあるショップ。沢山の個性的な漆器が並んでいます。
▲橋谷田さんの代表作である「合鹿椀」。力強い刷毛目塗りが美しいです。
歴史を繋ぐ地元の「佐治漆」
また橋谷田さんは塗師としてだけなく、漆文化の研究者としても活躍していらっしゃいます。
その研究対象は「佐治漆(さじうるし)」。
鳥取県八頭郡に属し、岡山との県境に位置する佐治は古くから漆の産地として知られてきましたが、産業の転換により昭和40年ごろから衰退してしまったそうです。
現在日本で使用されている漆の98%は輸入されたもの。
そんなわずか2%しかない国産漆の中で、橋谷田さんは佐治漆の復活のために尽力されています。
(写真:佐治漆研究会 facebookより)
その取り組みが始まったのは7年前。
佐治の漆産業は完全に衰退してしまっていたので、地元の人たちから情報を得ることも中々難しかったそうです。
しかし聞き込みを続けると「父親が仕事をしていた」という人が現れたり、残っていた漆掻きの道具を見つけたり、少しづつ復活の手がかりを見つけることができたのだとか。
さらに自生した木から漆を採取してDNA鑑定を行ったところ、佐治漆は独自の進化をしてきた漆で、非常に優れたウルシオール※の成分を保有していることもわかりました。
※ウルシオール…ウルシ科の植物に多く含まれ、漆の主成分となっている物質。
橋谷田さんたちはそんな佐治漆を根から増やし、なんと今では100本ほど植樹に成功したというのだから驚きです。
「まだ新しく植えたものは5年生で、漆が採れるにはさらに5年くらい育てる必要があります。言うだけなら易しいかもしれないけど、実際にやってみるとなると3倍は大変です(笑)」
橋谷田さんは笑顔でそうおっしゃいますが、そこには途方もない努力が隠れているのではないだろうか、と思わず想像してしまいます。
佐治漆が復活することで、鳥取の文化や歴史が一つ増えて、興味を持ってくれた人が観光に来てくれるかもしれない。
「佐治って面白くなってきたぞ?」と言われるようになれば、行政の見る目も変わってくるかもしれない。
そんな未来を思い描きながら、橋谷田さんは佐治漆1000本を目標に活動を続けているそうです。
▲會州堂では貴重な佐治漆を使った漆器も販売されています。
伝統に誇りを持って
橋谷田さんが生まれ育った会津は歴史と文化の土地で、伝統というものが誰にとっても常に身近にあったとおっしゃいます。
その価値観が根底にある中で鳥取に移住して思ったことは、「自分達の文化を蔑ろにせず、もっと鳥取を誇りに思ってほしい」ということ。
それを少しでも実現していくために、橋谷田さんは漆器づくりだけでなく智頭街道商店街の事業部長や鳥取城復元委員会のボランティア活動を経ながら、鳥取市の活性化に加わってこられました。
「なかなか困難な道でした。しかし少しづつ広がってきてきていて、あともう一歩。あとは若い人たちが、どれだけ共感を持ってくれるか」
地域の伝統文化への理解を深めれば、地域に心がつなっがていく。そうなれば、もっと多くの若者が鳥取にも残ってくれるだろう———と、橋谷田さんは若い世代に向けての思いをお話しされたのでした。
▲工房内に置かれた多様な漆。
▲「道具が一番大事」とおっしゃる橋谷田さん。全て京都から購入されているそうです。
また、伝統文化をもっと知ってもらいたいという思いから、橋谷田さんはSNSで宣伝をしたり、佐治漆について新聞に寄稿したり、体験教室を開かれたりという広報活動にも力を入れられています。
「最近は伝統というものに関心にある人も減ってきました。人の耳に入らない、目につかないものはどんなに良いものでも消えていく。今の時代ならSNSもあって、そういうものを使わない手はないです」
本物の伝統文化を広めるため、より現代にあった発信方法に挑戦されている橋谷田さんからは、「一人でも多くの人に知ってもらいたい」という本気の情熱を感じます。
古来より日本の人々の暮らしの中にあった漆、鳥取県佐治町で産業として栄えた漆、そして今、橋谷田さんが伝統として残そうとしている漆。長い長い歴史の中、漆ひとつを取っても全て繋がっていて、それは橋谷田さんのように語り継ぐ誰かがいたからこそ。
そして、そのおかげで私たちは今日も「誇れる伝統」を持つことができているのだと実感したのでした。
情報量が多すぎる現代社会において「伝統」というのは、無意識に見落としてしまうワードのひとつなのかもしれません。だからこそ先人の言葉に耳を傾けてみると、古い話であっても新鮮な発見があるのではないでしょうか。
橋谷田さんのお話しを伺い、私自身もまずは身近な伝統文化について知ることから始めてみたいと思いました。